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決断
毎日面会に行き、
今後について話し合いを重ね、
家に帰っては、制度やこれからの生活に向けて整理をする。
まだどう転ぶか分からない状態でも、
今後に向けて先のことをしっかりと考える。
母が倒れてから約1週間。
私は、東京に戻ることにしました。
あの日、夜勤明けのまま、
荷物も持たずに青森に駆け付け、
怒涛のような数日を過ごしました。
頭の中は、ずっと母のことでいっぱいで。
でも気が付けば、
私自身の生活も、止まってしまっていました。
このままではいけない。
暮らしに戻らないと。
母が母であろうとするように。
私も私でありたい。
自分を犠牲にすることはできません。
仕事をして、
遊んで、
好きなことをして生きていく。
今はそれどころじゃないとしても。
「お父さんがこっちでお母さんのこと何とかするから、
安心して戻れ。ご飯ちゃんと食べろよ。」
「お正月、また元気で会おう」
父はそう言いました。
「ごめんね。制度系のことは私に任せて。
あとは頼みます」

12月の初旬。
もうすぐ、私たちの地元には雪が降ります。
冬は、朝から晩まで雪を片付ける毎日が
例年通りやってきます。
父はこれからしばらく
母の面会に通いながら、それ以外の時間は雪かき。
実家で一人。
私は埼玉に戻り、
これまでと変わらない日々に戻る努力をする。
厳しい現実に、追い打ちをかけるような厳しい環境。
変わらない親心
母は数日前から、
何かを伝えたそうに手を動かしていました。
「何か欲しい?」
「雪降ってるか気になる?」
首を微かに振る母。
伝えたいことを
上手く汲み取ってあげられず。
「私のこと?」
うん、と頷く母。
たぶん、
「東京に、いつ戻るの?」
そう伝えたかったんだと思います。
母が必死に伝えようとしていたのは、
自分のことより娘のことを心配する親の気持ちでした。
青森を発つ日。
ちょうどその日、
母は気管切開の手術を受けることになっていました。
出発前、面会に行きました。
「今日帰るね。またお正月、話そう」
そう伝えるべきか迷いましたが、
手術前後で意識もはっきりしないタイミングということもあり
この言葉は胸にしまいました。
結局、何も言えないまま。
眠っている母の姿を目に焼き付けて、
父に託し、病院を後にしました。
いつもなら新幹線で帰るところを、
その日はタイミングの関係で、夜行バスに。
思えば19歳の頃、
上京する時も夜行バスでした。
あのときは
親友と母が見送ってくれた。
懐かしい。
もう、あれから7年も経ったんですね。
時が経つのは、本当に早い。
次に目が覚めたのは、
もうすぐ終点というところでした。
バスを降りる準備を済ませ、
その日のスケジュールを確認する。
ここはもう青森ではない。
私は何故か、
そのまま朝から仕事に行くという
今思えばかなり無茶な判断をしてしまいました。
上司は
「大変な状況なんだから、
ゆっくり落ち着いてから出勤して大丈夫だからね」
そう寄り添ってくださっていたのに。
ちゃんとしないと!
その気持ちばかりが先行して、
何も考えず出勤してしまい
結果は、案の定。
職場で号泣してしまい、
そのまま早退しました。笑
それから数日お休みをいただいて、
私なりに、少しずつ心を整えていきました。



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