無理に前を向かなくていい。
ここでは、立ち止まっていい。

曇り空の三時間|母が脳卒中で倒れた日④

①あの日(出来事)

▶前回の記事はこちら
(母が倒れたと知らされ、病院へ到着するまでの記録です。)

答えの見えない扉の向こうへ行ってしまった母。

「手術しても助からないと思います」

先生は、
目の前にある事実だけを
確かに伝えてくれている。

だとしても。

分かっていても
分かりたくない言葉でした。

手術が終わるまでは、何を考えても
あの一言が頭の中に降ってくる。

信じようと、祈ろうとする私の思考を何度も阻む。

まるで誰かに

「手術が終わったら、絶望を告げますよ。
それまでに、気持ちを整理しておいてくださいね」

そう言われているような、そんな時間でした。

最初のうちは、
父とおばちゃんと3人で待合室に座っていました。

気を紛らわせようと漫画などを手に取ってみましたが、
全く内容が頭に入って来ず。

誰かが何かを話していたはずなのに、
数分もすると、自然と減っていってしまう口数。

やがて沈黙。

それもそう。
この状況で何を話せばいいのでしょうか。

きっと皆、心のどこかで
「夢であってほしい」
そう思っていたはずです。

私は
行き場のない悲しみと動揺を
どうやって抑え込めばいいのか

そればかり考えていました。

その時、携帯が鳴りました。

倒れた知らせを受けた直後に電話をかけた
親友からです。

その子とは、普段から深い話をよくするんです。

親のこと。
これからのこと。
ときには哲学みたいな話まで。

「心の奥のほうが似てるよね」

そんなことを、
お互いよく言い合う仲なんです。

朝、私が電話をかけたときは出ませんでした。

だから、病院で着信を見た瞬間
「ああ、きっと心配してるだろうな」
と思いました。

電話に出ると、案の定
親友は号泣していました。

「ごめん、朝はすぐ出られなくて…」
「さやさ、大丈夫?大丈夫じゃないよね」
「ごめん、うちのほうがこんなに泣いちゃって」

「さやさが普段どれだけお母さんのこと
大事に思ってたか知ってるから信じたくないよ」

そして最後に

「こんなことしか言えないけど
お母さん、大丈夫。待ってる」

泣きじゃくる親友の声。

心配をかけてしまったという気持ちと、
自分のことのように泣いてくれる存在がいることへの感謝が
一気に胸に込み上げました。

「ごめんね。朝いきなり電話しちゃって」

「ほんとに信じられないよね。
最近これからの話してた矢先に、これってさ…」

何なんだろね、人生って。

お互い震える声で
そんな会話を交わして。

ただ、不思議なことに、
その電話で少しだけ冷静になれたんです。

皆が連絡をくれたこと。
皆がずっとそばにいてくれたこと。
皆が「大丈夫」って言ってくれたこと。

あのとき私は、
「持つべきものは友」という言葉の本当の意味を
知った気がしました。

そして時刻は15時。

病院に到着してから1時間半。

連絡も少し落ち着き、
待合室にはまた静かな時間が戻ります。

その頃から、私は思い始めていました。

そろそろ
扉が開くかもしれない。

期待をしちゃだめだ。

もし本当にダメだったら
期待していた自分が壊れてしまう。

立っていられなくなる。

だから今のうちに
覚悟を決めろ。

手術が終わるまでに
母のいない世界を生きていく覚悟を。

何度も何度も言い聞かせました。

ふと見た窓の外は
ただ灰色の空。

曇った空が
どこまでも広がっていて
答えなど書いていません。

ただそこにあるだけの空。

入院している家族の面会に来たのか
楽しそうに話している見知らぬ人たち。

何度もすれ違うたび
いいなあ、って。

そのうち頭がぐるぐるして
座っていられなくなり

私は
院内をあてもなく歩き回りました。

廊下。
エレベーター。
売店。

歩けば歩くほど
母との思い出が浮かんできます。

帰省した時の何気ない会話。
数えきれないくらいケンカしたこと。

でも、それ以上に

一緒に出掛けて
服を選びあって
一緒にごはんを食べて
笑ったこと。

こんな形で終わるんだ。

嫌だなあ。

奇跡が起きて助かってくれないかな。

もう一度、話せないかな。

期待するな、と言い聞かせて覚悟をきめたふりをする。

でも期待してしまって
また絶望して泣く。

何度も繰り返して、
泣くことすら飽きてしまいました。

そして時刻は16時30分。

そのときです。

ー動いた。

少し離れたところにいた父とおばちゃんが
立ち上がった。

心臓が嫌な音を立てます。

どっちだろう。

良い方か、悪い方か。

もし悪い方なら
いっそ永遠に手術室から出てこないでほしくて。

なんならこの「分からない状態」のまま
閉じ込められていた方がマシ。

私は臆病なんです。

だから
無意識に耳を塞ぎながら
ゆっくりと二人の方へ近づきました。

そして、視界に入ったのは

ベッドで運ばれてくる母と
主治医でした。

その瞬間
頭が真っ白になりました。

「よかった…」
「頑張ったな…」

何度も何度も
泣きながら母の名前を呼ぶ父。

一瞬で目の前に広がった光景。

良い方だ。

生きててくれた。

もし主治医だけが現れて
父がその場で崩れ落ちていたら
どうしようかと思っていました。

でも違った。

母がそこにいた。

やっと会えた。

生きていて、これほどまでに会いたいと思ったことが
あっただろうか。

深く眠る母の顔を見た瞬間

ごちゃごっちゃだった世界が
すっと静かになりました。

今日はもういい。

いや、

今はもう、それだけでいい。

それだけで。

そう思いながら
眠ったまま病室に運ばれていく母を
ただ見送りました。

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